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operation

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義母が異変に気がついたのは2011年の12月の事でした。

お手洗いや色々なきっかけで血液のようなものが出るようになったそうです。



2012年正月。

その頃まだ鹿児島県に住んでいた義父母に新年のご挨拶に出向いた際にも

体調不良であることなど全く感じさせない笑顔をみせてくれました。

後々尋ねると、その前日から何故か体調が回復し義母自身も安心していたとのことでした。

私達が鹿児島県での短い滞在を終え、大分県に帰って数日経ってから

妻の携帯が鳴りました。

義父からだったのか義母からだったのかは覚えていませんが

「おかあさんの膀胱にデキモノができたから、ちょっと入院してとらなきゃいけない」

「出血量が多くて極度の貧血状態なので輸血しなきゃいけない」

「デキモノは内視鏡でとれるから手術は難しくないから安心してね」

そういう内容だったと思います。

心配でした。

義父と妻の心配はどれほどのものだったか計り知れません。

約30年前、義母は子宮がんを患い摘出手術と放射線治療を経験し

2010年には、肺がんが発見され左肺の一部を摘出する手術を受けたばかりだったのです。

子宮がん治療の後、転移・再発もなく約30年を過ごし

肺がん治療の後の定期検診でも急を要する状況は確認されていない状態でした。

定期健診時の腫瘍マーカーでも陽性反応がでていませんでしたので

家族中で呪文のように「大丈夫だよ」を繰り返していました。

良くない事を考えると、それが本当の事になるようで

無理やり「大丈夫」を繰り返していました。

※後々調べてわかったのですが、腫瘍マーカーはチェックする腫瘍により多くの種類があるため
  一つのマーカーで全ての腫瘍をチェックすることは出来ないそうです。


数日後、内視鏡での摘出が終わり再度連絡が入りました。

「大学病院でデキモノの組織検査を“念のため”するんだって」

「大丈夫」と「念のためなんだから」を繰り返す日々が始まりました。



また数日が経ち、検査結果を確認するために義母が大学病院に行く日がやって来ました。

告げられた結果は「膀胱がん」でした。

早めの入院と手術を提案されたそうです。

膀胱の摘出になるためストーマをつけることになるとの説明も受けたとのことでした。

弱気な発言をすることもなく2度のがん治療に挑み、見事に回復した義母が

妻への連絡の際に「おかあさん もうイヤだ」と言ったそうです。

泣いても仕方が無いことなのでしょうが

妻と娘と私はただ泣いていました。



その後すぐに義父母の大分招致を決めました。

義母はとにかく働く人です。

放っておいた家事がいつの間にか片付き

お腹が空いたなぁと思うと食事が出てきちゃうような

そんなマジカル空間を構築してしまう人です。

義母が安心して療養するには

そのマジカル空間を構築する別な人物が必要なのです。

そして、その急先鋒として名乗りをあげたいはずの義父は

10年ほど前から左半身が麻痺してしまいそれが出来ない状況だったのです。

誰よりも義母を側でみてきた義父にとって

それがどれほど悔しいことかを想像するのは私にも容易なことです

義母の心には義父の悔しさが刺さるほどに感じられたのではないでしょうか。

とにかく義父母を二人だけにしておいてはいけない。

そう思いました。

私達のようなヘッポコマジシャンズのつくるマジカル空間でも無いよりはマシなのですから。



3月初旬 強行軍にて引越しを敢行しました。

なにか忘れたとしても大分ー鹿児島間なら取りにこれるから大丈夫!

と言い切り、妻により引越し現場が取り仕切られていきます。

「おとうさんっ!なんでもかんでも持って行こうとしない!」

「おかあさんっ!保険証は!?役所いったの!?なにやってんの!」

後から荷運び要員としてハイエースバンで駆けつけた私が現場でやることは何もありませんでした(笑

義母からはもう弱音が出て来ませんでした。

都合2日間で行った引越しがすみ、私達三人と義父母二人の新しい家族構成で大分でのはじめての夕飯。

義父が「ありがとう」と言って涙を流しました。

みんな泣いていました。



4月中旬 大分の病院での検討により抗癌剤治療開始。

すぐに手術をするよりも、一度抗癌剤でがん細胞を叩いてから手術したほうがベターである。

との説明を受け、抗癌剤治療を開始。

抗癌剤治療の結果が良好でも膀胱の摘出はしなければならないとのことでしたが

義母は「仕方ないからねー」と言い笑っていました。

本当に強い人だと思いました。



7月初旬 抗癌剤治療終了。

投薬治療前・治療後のCTを見比べると驚くほど患部が小さくなっていました。

ドクターも結果は良好との判断で、一時退院。



7月25日 膀胱摘出手術のため入院。

25日の夕飯から消化のよいキザミ食となり

28日夕食からは絶食。



7月30日 膀胱摘出手術。

06時00分 起床。

07時20分 家族全員で病院に向かう。

07時30分 義母の担当ドクターの通勤姿を発見!
       自転車大好き!という情報をきいてはいたがその姿を確認したのは初めてだった
       いつもプリケツだなーと思っていたが
       自転車用のパツパツレッドスパッツを身につけたドクターのケツはプリップリだった。

08時00分 義母を手術室前まで家族全員で見おくる。

08時10分 義父と娘と私は一時帰宅 妻は病院で待機。

17時45分 仕事が一段落したので妻に合流。

19時10分 手術終了。
       11時間超が経過したが術式自体は9時間半程だったとのこと。

20時00分 面会。
       義母が術後初めて発声したのは孫の名前だった。



無事に手術も済み、ドクターからの説明も受けました。

今後、義母は尿意を感じません。

ストーマと呼ばれる人口の尿路から袋へ尿をためることになります。

何度もこれまでの生活と変化はありませんと説明をされましたが

それは対外的な事でしかないでしょう。

義母の心中を察することはできませんが、少しでも寄り添うことができるとすれば

自身の機能の一部がなくなってしまった事へのショックは大きいに違いないのです。

そして、そのショックを受けるのはこれで3度。

誇るべき精神力の強靭さだと思います。



自らの望まない状況と立ち向かうことは容易なことではなく

立ち向かう事で自らの一部を失うともなれば尚更です。

義母からの弱音を耳にしたのは一度きりでした。



強さというのはこういう事だと思いました。



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[ 2012/07/31 11:06 ] ● 雑記 | TB(0) | CM(0)
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義父と一緒。

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